真理ってなんだろう?

何が正しく、何が間違いなのか?それを見極めるには「疑う」「考える」ことが必要だ。

資本主義社会での勝ち方

資本主義社会での勝ち方は1つしかないと思う。

 

それは資本家のステータスになること。

 

労働者→経営者→資本家(投資家)

資本家は経営者へ投資をし、

経営者は労働者へ投資を行う。

 

労働者は自らの時間と肉体を差し出す代わりに

給与という賃金を得る。

 

労働は、自分が働くことでしか給与を得られない。そして給与以外にリターンはない。

 そして労働とはつまり時間の提供のこと。

 

投資は自分が労働、時間の提供をしなくとも、

勝手にリターンとして得られる。

その空いた時間を使って、私生活を満喫し、

さらなる投資へと時間を使うことができる。

 

投資家は資本をさらに増加し続け、

労働者は給与以外に伸ばして行くということが

できない立ち位置にいる。

 

いかに労働者という立ち位置から脱却するかという視点が必要になる。

 

シンプルなのは、

起業して成功し、資本を築き、それを元にさらなる資本を増やす投資をしていくこと。

 

資本が増えればそれだけ、

得られるリターンが増えていく。

 

ただ、そう簡単な世界では無いので、

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①消費行動を減らし、投資行動に変えていくこと

②自分の収入の数を増やしていくこと

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をまずは行なっていく必要があるのではと考えている。

 

 

自由とは何か?

人間は自由から逃れる生き物だと言うワードを聞いたことがある。

 

フロイトが結構昔に書いたものだったと思うが、人間は実は自由なんか望んでいない。

 

だって自由ってことは
怖いことなんだ。

 

自由であり続けるというのは、
周りの人間からも
自分の欲望からも支配されずに、
自分の理性による判断だけで生きることだ。

 

判断には責任がつきまとう。
毎回の判断に対していちいち責任を負っていられない。

 

結局誰のせいにもできないから
失敗した時に自分の責任として受け止めなくてはならない。

 

この責任の重さよりかは、
他人やルールによる支配を受け入れたほうが良いという考えに無意識レベルでなっているのだそうだ。

 

じゃ、自由に生きることと、
不自由な生き方とどっちがよいのか?

 

ルールがなければ、
この世の中は正常には動かなくなる。

 

買い物だって、交通だって、
ルールがあるからみんなが守っている。

 

だから、ルールがなくなるというのは
非常に怖い事でもある。

 

ルールがあるからしあわせな安全に生きることができるという見方もできるかもしれない。

 

もし、ルールなく生きるのであれば、
良き精神を持たなければならない。

 

自由に生きるためには欲望に流されずに
理性的に判断ができる
ということが必要だ。

 

だから哲学ではよく生きるみたいなことを目指していたんだろうなー

仕事が嫌いになった真面目くんの将来は?

学生時代に成績優秀な人は真面目な人が多い。

先生のいうこともよく聞き、授業態度もよい。

 

学校に行って成績な優秀な人は2パターンいる。

①本当は勉強が好きでないけど、仕方なくやっている人

②勉強が好きでやっている人

 

大半は①に当たる。

②に当たる人はほとんどいないのではないだろうか?

 

基本的に勉強に対する姿勢は、仕事への姿勢とそんなに変わらないと思う。

会社でも同じように①と②の人たちに大きく分かれる。

 

②の人たちは、好きでやっているからどんどん伸びていく。

①の人たちは、好きでやっているわけではないので、

仕事は仕事と割り切って行う。

 

①の中でも

・真面目な人

・怠惰な人

に分かれる。

 

会社の構成としては、

②のどんどん会社を成長させていく人が2割ほど

①の真面目な人が6割、①の怠惰な人が2割ほど

であるのが多いのではないか?

※少なくとも私の肌感覚ではそうだ。

 

今回はこの記事を読んでくれているあなたも

「仕事は好きではなく、プライベートと区分をはっきりさせているが、

仕事に対しては真面目に取り組んでいる」

という性格の持ち主なのではないだろうか?

 

私もこれにあたる性格なのだが、

この状態を続けるとどうなるのかについて最近感じたことがあるので

共有していきたいと思う。

 

結果としては、

「思考停止状態の作業ロボット化」

となる。

 

仕事をなるべく早く終わらせたいと考えている、

無駄な仕事は極力したくないと思っているので、

指示された仕事しか基本的にはやらない。

 

ただ、この状態を続けていくと

①単純作業の繰り返しの仕事しか入ってこない。

②考える仕事をしていないので、商談やMTGなどで意見がいえない。

③目に見える成果も成長もできないので、上司からは評価されない。

④また①にもどっていく。

 

このエンドレスな繰り返しとなり、

転職しようとしても、市場価値は低い。

また、考えるということに慣れていないので、

・自分が本当はどのような人間になりたいのか?

・好きなことは何か?情熱の持てることは?

・どのようなキャリアステップを歩みたいのか?

がわからない。

 

そして趣味が特になく、より感情もロボット化してしまう。

 

かなり飛躍した解釈だと感じるかもしれないが、

現実で知らず知らずの間にこのような道を進んでいる可能性がある。

 

かくいう私もふと、自分で考えるということが鈍くなった気がして、

今までの行いを振り返ってみると、①〜④のサイクルになっていたのだ。

 

それではどうすれば解決できるのだろうか?

 

今仮説として持っているのが、

・アウトプットをする機会を増やすことで考えるという習慣が増えるのではないか?

ということ。

 

また、何をアウトプットするのかというのも重要だと考えており、

・答えのない問題に取り組むということ

 

これを意識した生活を心がけることで、

先ほどのロボット化の道から抜け出して行けるのではないかと思う。

 

じゃ、あなたが最初に考えるべき答えのない問題というものの例でいくと、

・どうすれば、仕事が楽しくなるのか?

 ➡︎今やっていることで楽しいことは?楽しくないことは?

 ➡︎楽しいことの割合を増やすためには?よりお金を稼ぐためには?

とかが最初には身近だし、より答える意義のある問題としてできるのではないだろうか?

 

ここで豆知識として

「考えること」と「悩む」ことは違う。

 

違いはなんだと思う?

 

それは答えを出す道筋がしっかり立っているかどうか。

ある本の中では、

「答えを出せる問題にだけ答えること。それを考えること」

と定義していたが、それだと取り組める問題に限りが出てしまう。

 

そこで、答えが出せないような問題に対しては、

さらに細かな幾つかの問題にわけ、

より回答への道筋を立てることで、考えるという行為になるのではないだろうか?

 

以上

クソ怒られた先にある自信

今まで怒られたことほとんどない人って多いと思う。かく言う自分もその1人。

 

だけど、なぜか絶対的な自信が持てないことがある。なんでだろうと思ってたけど解はない。

 

最近怒られまくって気づいたことは、

怒られることにも良い点があること。

 

怒られまくった結果、

自信が出てきた。

より他人に寛大になった。

見返してやろうとモチベーションが出た。

喜怒哀楽の感じ方が大きくなった。

ふとした何気ない一言が心に残る経験をした。

他人を探る意見よりも主張する意見が大切だと知った。

 

基本的には怒られるのは嫌だというスタンスは全く変わってないけど、今まで逃げてきたことに正面と向かうことで、なかったものが見えてくる。

 

向き合い方を変えて見たらうまく対応できるしね。

 

 

社会人になって気づく1つの真理

仕事ができるってなんだろう。

 

仕事を経験したことのなかった自分は、

人より多くの業務量を効率的にこなす人物だと

考えていた。

 

文字通り仕事をこなすレベルを増やしていき、

量も増やして行く。いわゆるブラック企業にいそうな仕事中毒な人だね。

 

でも、組織に入ってみると

仕事ができるっていうのは、

いかに他の人に気を配れるかってことだと思ってきた。

 

どんな奴が体現できるかっていうと、学校で人気だった奴。面白い奴。

 

とんだスーパー勉強ができるマンだと当てはまらないかもしれないけど、ある程度勉強ができたところで、そいつらには敵わない。

 

面白い、人気な奴に仕事も人も、裁量も集まってきちゃうんだよね。

 

これを知ってセンスのある面白い人ななりたいと思った。

 

単にお笑いを取るだけの人だと品のない上に、

自分らしくもなんともないので、

教養があるっていう観点から面白い人、深い人を目指していこうと思った。気を配る配らないは結局自分に焦りを感じていないで周りにも気を配れる器の大きさってことだからね。

 

今は器が小さいと知って

無知の知ではないけどら小器の知ってことからスタートしようと思う。

 

 

終わり

 

理解したって思い込んでない?

『全然話してることわかんない』

 

自分では理解してたつもりが実際に話してみると全然伝わるように話せない

 

私にとってはただいま直撃ナウの問題です。

 

一番最初は

『あ、話すことが苦手なんだな』

と思ってた。

昔からそんなうまい方じゃないし、

そのうち量をこなせばうまくなるだろって

 

だけど、よくよく考えると話すことよりも理解の方に問題があるみたいだと気付いた。

 

今までテスト勉強もまあまあできたし、本もそれなりに読んできたから理解は早い方だと思ってた。

 

だけどどうやら人に伝えるとなると話は別のようだ。特に学校の授業のようなものとは違う。

 

伝える年齢層、出身地、常識など異なるバッググラウンドを持ってるとそれだけ解釈の仕方が異なる。

 

だから伝えるときもスタートラインを一緒にして一歩一歩同じ道を辿って行くしかない。

 

そこで、本題に戻ると理解したっていうのは

『道のりを説明できること』

だと思った。道を説明するときも、

ちょっとでも駆け足になったりはしょっても土地勘ないひとは迷っちゃう。

 

プレゼンや商談などでいうと、

『ポカーン」

ってした状態。

 

理解したかどうかを確認する時には

ちゃんと道のりを説明できるかなって

視点を持ってるとこれまでとは全然違う。

 

『わかりやすいね」

って褒められるようになった。

 

みんなも試してみてほしい。

 

ちゃんと道のりを説明できてる?

 

 

 

私たちは本当は「自由」ではない。自由になるためのステップ

人間は、時には自由であったり時には奴隷であったりすることはできないであろう。人間は常に全面的に自由であるか、あるいは常に全面的に自由でないか、そのいずれかである。

 
サルトル(フランスの哲学者、小説家、劇作家 / 1905~1980)

 

 
 
「あなたは自由ですか?」
この問いを投げかければ、大半の人は「Yes」と答えるだろう。しかし、本当は「自由」だと思い込んでいるだけなのかもしれない。
 
 
「自由」
これは、人間の「尊重の証」であり、誰しもが持つ「権利」でもある。自由には過去多くの戦いの歴史を作った要因でもある「魔」とも呼べる力がある。誰しもが何者からも束縛を許さず、自らの意思決定で思うがままに生きたいと思っているからだ。
 
自由とは何か。
 
1 自分の意のままに振る舞うことができること。また、そのさま。「自由な時間をもつ」「車を自由にあやつる」「自由の身」
2 勝手気ままなこと。わがまま。
3 《freedom》哲学で、消極的には他から強制・拘束・妨害などを受けないことをいい、積極的には自主的、主体的に自己自身の本性に従うことをいう。つまり、「…からの自由」と「…への自由」をさす。
 

 

 
私なりの自由の定義としては次のように考える。「複数の選択肢から自分の意思で思うがままに決定できること」
 
 
①自分の意思で②複数の選択肢より意思決定できることが自由であるための必要な条件だと考える。
 
では、あなたは「自由」であるのかチェックしてみよう。
 
  • CMやネットの広告、オススメされた商品、サービスを買ったことがない
  • 買った商品、使っているサービスを選んだ際に、他の同じような商品、サービスを比較検討している
  • 「有名らしい」「人気らしい」という理由でお店、スポットを訪れたことはない
  • 自分の好きなものを知っている
  • 自分の資金をちゃんと管理することができている
  • ブランドだからといった理由で買うことはない
  • 有名人が関わっている、身につけているからといって選ぶことはない
よくよく考えてみると、「自由」になるというのは難しいことだ。私たちはCMや広告を見て、商品を欲しがる。最新のトレンドを知りたがり、オススメされる商品は欲しがる。 
 
私たちが「選択」する際には、「自分の意思」で決定しているのではなく、事前に入れられた情報によって選択をしている。  
 
「自由」でいるためには、労力を伴う。選ばされるのではなく、選ぶためには事前に「多くの情報、知識」が必要である。
 
もしくは俗世から離れて「選ばない」ことを選ぶことも可能であるが。
 
 
人間というものは、なるべく「楽」をしたい存在である。労力をつかっても「自由」でいるかどうかはどちらの存在がその人にとって重要なのかによって異なってくる。
 
本当に「自由な人」は
自由でいること>楽でいること
 
「自由でない人」
楽でいること>自由でいること
 
最近は、自由でいることの重要性が薄れつつある。何も「自由」でいなくても生活に支障はなく、「楽」に過ごすことができる。他者が良いと評価しているものを買い、悪いと言っているものは買わない。広告やオススメで表示されたものを買い、自分で何が欲しいのかを考えることはしない。
 
それが一番楽であり、効率的な生き方だ。
 
次の記事からはこの「楽」でいる生活から「自由」な生活にシフトするための方法を考えてみる。