真理ってなんだろう?

何が正しく、何が間違いなのか?それを見極めるには「疑う」「考える」ことが必要だ。

私たちは本当は「自由」ではない。自由になるためのステップ

人間は、時には自由であったり時には奴隷であったりすることはできないであろう。人間は常に全面的に自由であるか、あるいは常に全面的に自由でないか、そのいずれかである。

 
サルトル(フランスの哲学者、小説家、劇作家 / 1905~1980)

 

 
 
「あなたは自由ですか?」
この問いを投げかければ、大半の人は「Yes」と答えるだろう。しかし、本当は「自由」だと思い込んでいるだけなのかもしれない。
 
 
「自由」
これは、人間の「尊重の証」であり、誰しもが持つ「権利」でもある。自由には過去多くの戦いの歴史を作った要因でもある「魔」とも呼べる力がある。誰しもが何者からも束縛を許さず、自らの意思決定で思うがままに生きたいと思っているからだ。
 
自由とは何か。
 
1 自分の意のままに振る舞うことができること。また、そのさま。「自由な時間をもつ」「車を自由にあやつる」「自由の身」
2 勝手気ままなこと。わがまま。
3 《freedom》哲学で、消極的には他から強制・拘束・妨害などを受けないことをいい、積極的には自主的、主体的に自己自身の本性に従うことをいう。つまり、「…からの自由」と「…への自由」をさす。
 

 

 
私なりの自由の定義としては次のように考える。「複数の選択肢から自分の意思で思うがままに決定できること」
 
 
①自分の意思で②複数の選択肢より意思決定できることが自由であるための必要な条件だと考える。
 
では、あなたは「自由」であるのかチェックしてみよう。
 
  • CMやネットの広告、オススメされた商品、サービスを買ったことがない
  • 買った商品、使っているサービスを選んだ際に、他の同じような商品、サービスを比較検討している
  • 「有名らしい」「人気らしい」という理由でお店、スポットを訪れたことはない
  • 自分の好きなものを知っている
  • 自分の資金をちゃんと管理することができている
  • ブランドだからといった理由で買うことはない
  • 有名人が関わっている、身につけているからといって選ぶことはない
よくよく考えてみると、「自由」になるというのは難しいことだ。私たちはCMや広告を見て、商品を欲しがる。最新のトレンドを知りたがり、オススメされる商品は欲しがる。 
 
私たちが「選択」する際には、「自分の意思」で決定しているのではなく、事前に入れられた情報によって選択をしている。  
 
「自由」でいるためには、労力を伴う。選ばされるのではなく、選ぶためには事前に「多くの情報、知識」が必要である。
 
もしくは俗世から離れて「選ばない」ことを選ぶことも可能であるが。
 
 
人間というものは、なるべく「楽」をしたい存在である。労力をつかっても「自由」でいるかどうかはどちらの存在がその人にとって重要なのかによって異なってくる。
 
本当に「自由な人」は
自由でいること>楽でいること
 
「自由でない人」
楽でいること>自由でいること
 
最近は、自由でいることの重要性が薄れつつある。何も「自由」でいなくても生活に支障はなく、「楽」に過ごすことができる。他者が良いと評価しているものを買い、悪いと言っているものは買わない。広告やオススメで表示されたものを買い、自分で何が欲しいのかを考えることはしない。
 
それが一番楽であり、効率的な生き方だ。
 
次の記事からはこの「楽」でいる生活から「自由」な生活にシフトするための方法を考えてみる。